2学期始業式

2学期始業式

 10月22日(月)、2学期始業式が放送による校長講話の形で行われ、新学期が始まりました。

校長講話「言語と意味の関係」

 10月2日に、ワイヌイオマタ高校の生徒が桜修館にやってきました。彼らが披露してくれた「ハカ」を見た生徒諸君は、とても印象深く感じたことと思います。ホームステイ先を引き受けてくれた人は、教室だけで話をした人よりも、彼らとたくさん話をする機会があったと思いますが、コミュニケーションは円滑に行うことはできたでしょうか。私もニュージーランドの先生方とお話をしましたが、円滑にコミュニケーションが取れたかというと、実はあまり自信がありません。私自身の英語力が不足しているということもあると思いますが、先生方がいろいろと説明してくれた、ニュージーランドの伝統的な考え方や文化を表す言葉を私が聞いても、それが何を意味するのかをなかなか理解できなかったことに、大きな原因があるように思います。
 さて、2学期の始業式あたって、このコミュニケーションの問題から感じた「勉強ができるってどういうことなのか」、ということについて、ちょっとややこしい話をします。
 皆さんは英語や第二外国語を学習していますね。私たちはふだん母語である日本語を使っている人が多いです。日本語に限らないことですが、母語を使って話をしている限り、言語を頭の中で「言語のもつ意味」に変換することに困難を感じることはないはずです。でも、例えば英語でコミュニケーションを取るときに、聞いた英語を頭の中で「言語のもつ意味」に変換することが、すぐにはできないことって結構あると思います。この変換がすぐできないことが英語の苦手につながってしまっている。英語という言語を頭の中ですぐに意味化できることが英語が得意ということであり、同時に頭の中に浮かんだ意味を英語に言語化することができることが、英語が得意ということです。誤解されると困るのですが、この意味化ということは、英語を母語である日本語に翻訳するということではありません。言語そのものの指し示す内容や概念を意味と言っています。
 「勉強ができるってどういうことか」について考えてみたときに、記憶力がいいとか、根気よくドリルを続ける持久力があるとか、直観にすぐれているとか、いくつかの要素がある中で、「言語の意味化を素早くできること」も、とても大きな要素であるように思います。頭の中に浮かんだ「意味」を素早く言語化できる、ということが勉強ができるということです。
 数学の定理とか公理と呼ばれる一連の論理はそれ自体が一つの意味です。同じように、関数や方程式もそれ自体が一つの意味です。定理が正しいことの証明は、言語と言語を組み立てた論理によって行われます。したがって数学の証明を読んだときに、その論理が指し示す内容を、すぐに頭の中で意味化ができるか、関数や方程式を読んだときに、その式が言わんとしていることを、頭の中で素早く意味化できるかが、数学が得意かどうかの分かれ目となると思います。同様に、頭の中に浮かんだ数学的な考え方=意味をルールに基づいて言語と論理に変換することができるか、証明問題があったときに、証明問題が求めている意味を頭の中に思い浮かべたら、その意味をすぐに論理式を立てて解いてしまうことができるかが、数学が得意かどうかの分かれ目です。
 今、英語と数学とを例に上げましたが、この「言語の意味化」と「意味の言語化」はおそらくすべての教科において勉強ができるかどうかにつながります。そして社会に出て仕事をしていく際に、仕事で求められていることがすぐに理解できるかどうかの賢さにもつながります。「言語の意味化」と「意味の言語化」の力を向上させるには意識的なトレーニングが必要で、皆さんが日常の学習の中で、自分自身で取り組んでいかなければならないことですが、幸いなことに桜修館の授業にはこのトレーニングに関わる活動が多く取り入れられています。ただ自分が何を勉強しているのか、何をトレーニングしているのかを意識することで学習の効果は変わってきます。「言語の意味化」と「意味の言語化」にこだわるわけではありませんが、自分を高めるためのトレーニングは何だろうということを考えながら、日々の学習に取り組んで欲しいと思います。
 私の話は以上ですが、毎日を前向きに過ごして、高い達成感を生徒全員が感じられるような2学期となることを期待しています。がんばってください。


校長講話を聴く生徒たち


2018.10.22.
 
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